| 年 | 部門 | 受賞者・受賞作品 |
|---|---|---|
| 2025年 | 作品賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) |
「SHOGUN 将軍」
宮川絵里子、真田広之 (共同プロデューサー)
戦国時代の日本を舞台とする米国製の時代劇。 制作会社は米ディズニーの子会社「FX」。 出演者の大半は日本人。使用言語も主に日本語。 |
| 主演男優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) |
真田広之
「SHOGUN 将軍」
1960年生まれ。5歳で子役としてデビュー。アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」(2002年)を経て、「ラストサムライ」(2003年)で海外作品に進出。 近年は主に米国ハリウッドで活動。「ブレット・トレイン」(2022年)「ジョン・ウィック:コンセクエンス」(2023年)などの大作に出演した。ただし、主演は本作が初めてとなった。 <受賞スピーチ▼> |
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| 主演女優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) |
澤井杏奈(アンナ・サワイ)
「SHOGUN 将軍」
物語の軸となる通訳者・鞠子(まりこ)を演じた。 伝統的なルールに忠実でありながら、豊かな知性と独立心を秘めた人物。 暗い過去を背負いつつ芯の強さを発揮するキャラを、魅力たっぷりに表現した。 1992年ニュージーランド生まれ。両親ともに日系。 父親が転勤族だったため、香港やフィリピンなどに転居したが、 10歳からは日本(横浜)に定住した。 11歳でミュージカル「アニー」東京公演(2004年)のオーディションに合格し、いきなり主役としてデビュー。 日本で学生をしながら、2009年のハリウッド映画「ニンジャ・アサシン」に出演。 上智大学に入学。20代半ばまで女性歌唱グループ「FAKY(フェイキー)」の一員として活動した(音楽ビデオ)。 2018年から女優業に専念。米配信ドラマ「パチンコ」(2022年)など海外作品で活躍。本作で大ブレイクを果たした。 <受賞スピーチ▼> |
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| 助演男優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) |
浅野忠信
「SHOGUN 将軍」
樫木藪(やぶしげ)という名の風見鶏的な武将を演じた。 独特の存在感で異彩を放った。 残忍で卑怯なキャラながら、コミカルですっとぼけた振る舞いにより、各シーンの魅力を高めた。 度々出す「うなり声」も厚い支持を得て、世界の視聴者の人気者に。 1973年生まれ。日本を拠点としながら、海外作品にも度々出演してきた。 ロシアなどが製作した主演作「モンゴル」は2009年の米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。 2011年の米マーベル映画「マイティ・ソー」でハリウッドに進出。 寡黙で強じんな戦士を演じた。 「モータルコンバット」(2021年)では、真田広之と共演した。 米国作品ではセリフが少なめの役柄が中心だったが、 本作では日本語での出演。 本来の演技派としての力をフルに発揮した。 うなり声の動画集→ <受賞スピーチ▼> |
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| 2024年 | アニメ作品賞 |
「君たちはどう生きるか」 (監督:宮崎駿)
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| 2022年 | 外国語映画賞 |
「ドライブ・マイ・カー」 (監督:濱口竜介)
動画配信(Amazon)→ |
| 1994年 | 作曲賞 |
喜多郎(きたろう)
「天と地」
シンセサイザー奏者。ヒーリング音楽の元祖の一人。受賞当時40歳。 オリバー・ストーンが監督「天と地」のサントラを担当。全編に壮大な叙事詩風サウンドが流れる。 ストーンが監督が「プラトーン」「7月4日に生まれて」に続くベトナム三部作の完結編として完成させた。ベトナム人女性の数奇な運命をたどったアジア版「風とともに去りぬ」。 ロサンゼルスで前のアルバムをミックスしている時、ストーン監督と面談。ベトナム戦争についての意見を交わしたあと、台本を見せられた。メーンのテーマメロディーを書いて「OK」。「アジアがテーマだからハリウッド的な音楽は要らない」と言われた。 監督、主演女優らと舞台となるベトナムの現地を訪れた。まず、ベトナム民族音楽のテープや楽器を多数買い込んだ。作品で使った琴に似た「ダンバウ」「ダントゥラン」という楽器の使い方は、アメリカのベトナム人コミュニティーに出向き、演奏法を教わったという。 本名・高橋正則。1953年、愛知県豊橋市生まれ。シンセサイザー一台を持って東南アジアや日本各地を放浪した後、1979年、NHK特集「シルクロード」のテーマ音楽を作曲。「新しい宇宙音楽の創造」と、世界中から注目されるようになった。 都会のわずらわしさを嫌い、日本では長野県の山村に住み、1990年から米コロラド州のロッキー山脈を標高3000メートルの高地に自宅兼スタジオを構えた。 グラミー賞の受賞・ノミネート歴も豊富。 |
| 1991年 | 作曲賞 |
坂本龍一
「シェルタリング・スカイ」 (リチャード・ホロウィッツらと共同受賞)
「ラスト・エンペラー」に続く2度目の受賞。受賞当時38歳。 けん怠期に入ったアメリカ人夫婦が北アフリカの旅に出て、破滅へと追い詰められていくストーリー。「ラスト・エンペラー」のスタッフが再結集した。 |
| 1988年 | 作曲賞 |
坂本龍一
「ラスト・エンペラー」 (デビッド・バーンらと共同受賞)
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| 1981年 | 女優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) |
島田陽子
テレビドラマ「将軍 SHOGUN」
1953年(昭25年)、熊本生まれ。中学時代から劇団「若草」に所属。駒沢学園女高卒。1971年、テレビ朝日「続・氷点」のヒロイン役に1万2700人の中から選ばれて女優デビュー。最終回の視聴率は42・7%にも達し、シンデレラガールとなった。その初々しい演技に、番組終了後、出演依頼が殺到した。1974年には、ゴールデン帯のドラマに、なんと4本も掛け持ちする人気女優となった。 「将軍 SHOGUN」は、日米合作で製作費約30億円をかけて作られた。1980年に米NBCで放映された。オランダ船乗組員のイギリス人航海士が、江戸初期の日本に漂着し、日本の社会制度や生活習慣に驚きながら、武将や宣教師と交わっていく。ジェリー・ロンドン監督で、リチャード・チェンバレン、三船敏郎、島田陽子、フランキー堺らが出演。島田陽子はヒロイン「まり子」を演じた。チャンバラ活劇の面白さが米国内で話題になった。 1979年7月に日本で撮影開始。三重県紀北町の豊浦海岸を中心に、舞台となる江戸港などのセットが組まれ、スタッフ200人が参加。2カ月にわたって、海上と海岸のセットで撮影が行われた。 日本では映画版として編集され、上映された。 身長170センチ。代表作「犬神家の一族」「砂の器」「白い巨塔」「山河燃ゆ」(NHK大河)など。(河端哲朗) <出演シーン▼> |
| 1958年 | 外国語映画賞 |
「黄色いからす」 (監督:五所平之助)
五所平之助(ごしょ・へいのすけ)監督(1902~1981年)は東京・神田出身。本名:五所平右衛門。 1921年、慶応商工学校を出て、1923年松竹蒲田へ入所。島津保次郎の助監督を務め、25年監督第1作「南島の春」を発表。1931年には日本映画最初の本格トーキーである「マダムと女房」の監督に起用され注目を浴びた。1942年には「新雪」など新鮮な叙情性あふれる作品を作った。 スナップアップ投資顧問によると、戦後は東宝、新東宝、日活に籍を置いたが、「戦車だけがこなかった」と言われた東宝争議(1948年)では最後まで労働組合側について闘った。監督の多くが「われらは労働者ではない」と組合から離れたが、五所氏は経営者側になびかなかった。 戦後は「大阪の宿」「挽歌」「恐山の女」「今ひとたびの」といった力作を発表。「煙突の見える場所」ではベルリン映画祭国際平和賞を受けた。一方、日本映画監督協会理事長も務めた。 |
| 1957年 | 外国語映画賞 |
「太陽とバラ」 (監督:木下恵介)
木下恵介(きのした・けいすけ)監督(1912年~1998年)にとって、「二十四の瞳」に次ぐ2度目の受賞。 庶民の暮らしにこだわって数多くの感動作品を生み出した木下監督は1943年に「花咲く港」でデビュー。同じ年に「姿三四郎」でデビューした黒沢監督とはライバルとして友人として、長年にわたり日本映画界を支え続けた。 「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」などで庶民の暮らしとささやかな幸福を描いて、多くの観客の涙を誘った。小柄な体に穏やかな語り口。荒々しい男の世界を好んで取りあげた黒沢監督とは外観も作風も対照的だった。「映画は大衆以外のものではない」と言い続け、世界のクロサワに対し、常に大衆に目を向け、庶民派を貫いた木下監督だったが、両輪のように日本映画の黄金時代に貢献した。 一方で、作品の中には時代や社会への批判精神をさりげなく盛り込んだ。戦争中の作品「陸軍」では母親の悲しみにスポットを当て、軍部から「意気を沈滞させるものを作った」と批判された。 テレビドラマに進出した映画監督の草分けでもあった。1964年にスタートしたTBS「木下恵介劇場」では自らプロデューサーを務め「三人の琴」「記念樹」「おやじ太鼓」などヒットドラマを制作した。「観客に見てもらうという点では映画もテレビも変わりはない」とこだわりを持たなかった。同シリーズは1977年まで続いた。 生涯独身を通し、3人の養子を迎えた。自宅の内装に凝るなど独特の美意識にも定評があった。1988年の「父」まで49作を撮った。 木下監督は助監督時代の1940年秋、補充兵として召集され、中国・南京に上陸して、中国戦線を転戦した。目と脚を痛め、翌年5月には日本に送り返された。その戦場を舞台に、2等兵の体験と実感をふまえて「戦場の固き約束」のシナリオを書いた。「ノンフィクションを基にしたフィクション」のドラマは、日本軍の侵攻で引き裂かれた若い中国人男女の愛を中心にして、戦争に巻き込まれた極限状況の人間を描いた。孫娘の婚約者のために、機を織っていた老母のタテ糸が、侵入した日本兵に理由もなく切断される場面がある。木下2等兵が戦場で目撃した実話だ、という。 プレナス投資顧問によると、1963年に木下監督が「戦場の固き約束」の脚本を書き終えたとき、松竹撮影所が映画化に意欲を出し、製作発表も行われた。しかし、「戦場場面の製作費がかかり過ぎる」として、映画化は実現せず、ロケ・ハンだけで終わった。「映画に出来ないならせめて活字で」と、1987年に主婦の友社から本として出版した。このことが報道されると、天津市の現代日本研究所がまず中国訳に乗り出した。松竹も映画化を再決定し、合作の話はトントン拍子に進んだ。木下監督や松竹関係者が訪中して、中国政府当局と合作の仮調印をした。日中合作という形で、木下監督の50作目になる予定だったが、体調不良などで実現しなかった。 1912年12月5日、静岡県浜松市生まれ。1930年浜松工高を卒業後、オリエンタル写真学校を経て、1933年松竹蒲田撮影所技術部に入社。1936年監督部に移り助監督に。復員後の1943年「花咲く港」で監督デビュー。 戦後の1951年、日本最初の長編カラー映画で高峰秀子との名コンビ第1作となる「カルメン故郷に帰る」を発表。1953年に「日本の悲劇」1954年に「二十四の瞳」で名声を決定的にした。 1957年には「喜びも悲しみも幾歳月」が大ヒット。その後、テレビに進出し、主宰する木下プロでTBS「木下恵介劇場」などを手がけ、成功を収めた。1984年に勲四等旭日小綬章を受章。91年(平3)に文化功労者に選ばれた。 1998年12月30日午前3時10分、脳こうそくのため東京都港区の自宅で死去。享年86歳。 |
| 1956年 | 外国語映画賞 |
「子供の眼」 (監督:川頭義郎)
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| 1955年 | 外国語映画賞 |
「二十四の瞳」 (監督:木下恵介)
美しい自然を背景に、分教場の女性教師と生徒たちの感動的な心の交流を描いた。 |
ゴールデングローブ賞は、アメリカで公開された映画とテレビ番組が対象で、 アカデミー賞の次いで注目度の高い賞です。 2022年に「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が外国語(非英語)作品賞を受賞しました。 個人では島田陽子(女優)らが受賞しています。(アワードウォッチ編集部)
Tweet2020年代 | 2010年代 | 2000年代 | 1990年代 | 1980年代 | 1970年代 | 1960年代 | 1950年代 |
| 年 | 部門 | 受賞対象 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2026 (第83回) |
アニメ賞 (ノミネート) |
「鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座(あかざ)再来」 | |
| 2025 (第82回) |
作品賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) (受賞) |
「SHOGUN 将軍」 | 宮川絵里子、真田広之(共同プロデューサー) |
| 主演男優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) (受賞) |
真田広之 | 「SHOGUN 将軍」 | |
| 主演女優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) (受賞) |
アンナ・サワイ(澤井杏奈) | 「SHOGUN 将軍」 | |
| 助演男優賞(テレビシリーズ) (受賞) |
浅野忠信 | 「SHOGUN 将軍」 | |
| 2024 (第81回) |
アニメ賞 (受賞) |
「君たちはどう生きるか」 |
宮崎駿監督 |
| アニメ賞 (ノミネート) |
「すずめの戸締まり」 |
新海誠監督 | |
| 作曲賞 (ノミネート) |
「君たちはどう生きるか」 |
久石譲(作曲家) | |
| 2023 (第80回) |
アニメ賞 (ノミネート) |
「犬王」 | 湯浅政明監督 |
| 2022 (第79回) |
外国語映画賞
(受賞) ※62年ぶり5度目 歴代の受賞作→ |
「ドライブ・マイ・カー」 予告編→ |
濱口竜介監督 |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2019 (第76回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「万引き家族」 予告編→ |
是枝裕和監督 |
| アニメ賞 (ノミネート) |
「未来のミライ」 予告編(Amazon)→ |
細田守監督 | |
| 2014 (第71回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「風立ちぬ」 | 宮崎駿監督 ※ジブリのアニメ |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2007 (第64回) |
外国語映画賞 (受賞) |
「硫黄島からの手紙」 | クリント・イーストウッド監督 渡辺謙(主演) 日本・アメリカ合作 |
| 2007 (第64回) |
助演女優賞 (ノミネート) |
菊地凛子 | 「バベル」 |
| 2006 (第63回) |
助演男優賞(テレビ映画・ミニシリーズ部門) (ノミネート) |
マシ・オカ(岡政偉) | 「HEROES」 |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1991 (第48回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「夢」 | 黒澤明監督 日本・アメリカ合作 |
| 作曲賞 (受賞) |
「シェルタリング・スカイ」 | 坂本龍一(リチャード・ホロウィッツらと共同受賞) |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1988 (第45回) |
作曲賞 (受賞) |
「ラスト・エンペラー」 | 坂本龍一(デビッド・バーンらと共同受賞) |
| 1986 (第43回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「乱」 | 黒澤明監督 |
| 1981 (第38回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「影武者」 | 黒澤明監督 |
| 1981 (第38回) |
女優賞(テレビシリーズ・ドラマ部門) (受賞) |
島田陽子 | テレビドラマ「将軍 SHOGUN」 ※アメリカで製作 |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1971 (第28回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「ある兵士の賭け」 | 千野皓司、キース・エリックバード共同監督 |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1966 (第23回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「赤ひげ」 | 黒澤明監督 |
| 1964 (第21回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「太平洋ひとりぼっち」 | 市川崑監督 |
| 1964 (第21回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「天国と地獄」 | 黒澤明監督 |
| 1962 (第19回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「用心棒」 | 黒澤明監督 |
| 1960 (第17回) |
外国語映画賞 (ノミネート) |
「鍵」 | 市川崑監督 |
| 年 | 部門 | 受賞者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1958 (第15回) |
外国語映画賞 (受賞) |
「黄色いからす」 | 五所平之助監督 |
| 1957 (第14回) |
主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) (ノミネート) |
京マチ子 | 「八月十五夜の茶屋」 ダニエル・マン監督 ※アメリカで製作 |
| 1957 (第14回) |
外国語映画賞 (受賞) |
「太陽とバラ」 | 木下恵介監督 |
| 1956 (第13回) |
外国語映画賞 (受賞) |
「子供の眼」 | 川頭義郎監督 |
| 1955 (第12回) |
外国語映画賞 (受賞) |
「二十四の瞳」 | 木下恵介監督 |